「家でも何か取り組みをしないといけないのかな」
療育や支援につながると、そんなふうに感じることがあります。
私自身も、「家でできること」を探して、少し構えてしまっていた時期がありました。

何かやらないと思い込んで、追い立てられたような気持ちになっていたんです。
でも、今は思います。
支援は、特別な時間にだけ行うものではなく、日常生活の中にすでにたくさん含まれていると。
この記事では、
「必ず遊んでやらなきゃ」
「毎日何かやらなきゃ」
と思わなくてもいい理由と、日常の中にある“遊び”と“支援”について、我が家の体験を交えながらお話しします。
遊びは大切。でも「用意しなきゃ」じゃなくていい
療育では、遊びを通して土台づくりをしています。
一見すると「遊んでいるだけ」に見える時間にも、実はたくさんの意味があります。
(※療育での遊びについては、こちらの記事でも触れています)
ただ、それを知ると今度は
「家でも遊びを用意しなきゃ」
「何か取り組みをしなきゃ」
と、逆に力が入ってしまうこともあります。
でも、必ずしも“特別な遊び”を用意し続ける必要はないんです。
大人は支援、子どもは遊び。そのズレでいい
親としては、
「これは支援の一環」
「これは学びにつながるはず」
と、真剣に考えてやっていることでも、
子どもからすると、ただ楽しい遊びに感じているということはよくあります。
でも、それでいいんです。
むしろ、
子どもは楽しい
大人も楽しい
この状態が一番、続きます。

大人も子供も、楽しいことは時間を忘れちゃいますよね。
スペシャルなことは、毎日はできない
正直な話、毎日毎日気合いを入れて特別なことをするのは無理です。
疲れる日もあるし、余裕がない日だってあります。
だからこそ、「日常生活の中にある時間」を、少しだけ“遊び”として使えたら十分だと思っています。
我が家のお風呂タイムは、リラックスタイムです
私は、お風呂の時間を親子でリラックスする時間と決めています。
お風呂で「勉強のようなこと」は基本的にさせません。
本人が「ひらがなやるー」などと言う時は、ひらがなポスターを貼ったりもしますが、常時は貼り付けていません。
その代わりに、
など、お風呂で遊べるものをいろいろ使っています。

水加減がちょっと難しいですが、娘は大喜びで遊んでます👍
楽しいけど、大変なこともある
もちろん、いいことばかりではありません。
なので、「全力で放置してリラックス」というわけにはいきません。
それでも、一緒に湯船につかりながら、
何かを教えるでも、やらせるでもなく
楽しい時間を共有できるこの時間を、私は気に入っています。
氷が溶けて泣いた日も、立派な体験
あるときは、丸い製氷皿におもちゃと水を入れて、“なんちゃってバスボム”を作ったこともあります。
触って「冷たい!」とはしゃいで、その後お風呂に浮かべて「溶けちゃう!」と泣いてしまったこともあります。
それでもその中で、
いろいろな感覚や感情を、娘は体験しています。

作るときもすごく楽しそうにしてました
親も一緒に楽しむ=社会性の支援
ここが、私が大切にしている視点です。
親も一緒に楽しむこと。
それ自体が、社会性の支援だと思っています。
人と一緒に過ごして、楽しい気持ちを共有する。
これって、すごく大事な力ですよね。
「これならできそう」からでいい
いつでも、どこでも、気合いを入れて。
そんな支援じゃなくていい。
そんなところからで、十分だと思います。
日常生活の中には、すでにたくさんの「遊び」と「学び」があるんですから。
まとめ
遊びは大切。
でも、遊びを“用意し続けること”が支援ではありません。
親子で過ごす日常そのものが、少しずつ確実に土台を作っています。
「今日は何もしなかったな」と思う日も、一緒に笑った時間があれば、それで十分。
そう思えたら、少しだけ、気持ちが楽になるかもしれません。

「これをやらせてできるようにさせないと!」みたいな気持ちは、焦りとなって子供に伝わってしまいます。
親も一緒に楽しく取り組めること。これが大事だと感じます。


