「療育に通えば安心だわ。」
そう思ってたりしませんか?
私自身、娘が小さい頃に療育につながり、

これで安心だわ
と思っていました。
療育に入れたら、困ってることがササっと解決すると思ってたんです。
実際、療育に通っている「だけ」で安心できるわけではありません。
療育の中で積み重ねていく経験が、結果として安心につながっていくんです。
この記事では、本当の意味で安心につながったものは何だったのかを、我が家の経験を交えながらお話しします。
「療育に通えば安心」と思ってしまう理由
療育は、専門的な支援につながる場所です。
そのため、
こうした状況がそろうと、
「もう大丈夫」
「ちゃんとやれている」
そう思いたくなるのは、とても自然なことだと思います。
私もそうでした。
私も「療育に行けば、言葉は出るようになる」と思っていました
我が家の場合、1歳半を過ぎても娘はほとんど言葉が出ず、「言葉が遅い」ことが一番の心配でした。
そのため、比較的早く療育につながり、2歳前には通い始めています。
正直に言うと、当時の私は

療育に行けば、しゃべれるようになる
そう思っていました。
でも、実際の療育では、娘はずっと遊んでもらっているばかりだったんです。
「何をしているんだろう?」という不安
その時通っていた療育は、「遊び」を大切にするスタンスで、楽しく関わる中で子どもの気づきを育てることをテーマにした場所でした。
けれど、当時の私は知識がほとんどなく、
- ずっと遊んでいるように見える
- 言語の専門家がいるわけでもない
- これで本当に言葉が出るのだろうか
そんな不安や、正直なところ少しの不信感を抱いていました。

言語の専門職がいる療育を探した方がいいのでは?
そう思い、実際に相談員さんに聞いてみたんです。
相談員さんの言葉で、見えてきたもの
そのときに教えてもらったのが、こんな考え方でした。
療育は、
だということ。
その後、自分でも調べてみて、

なるほど、そういうことだったのか
と、ようやく腑に落ちました。
今回は療育の話を書いていますが、後日私は、「公園で遊ぶこと」の重要性も知ることになります。
遊びの力って本当に偉大なんです。
言葉より先に、娘が得ていたもの
結果的に、その療育に通うようになって、娘には大きな変化がありました。
それまで、一人でも平気そうにボーっと過ごしていることが多かった娘が、
友達と遊びケラケラ大笑いながら、楽しそうに過ごすようになったのです。
コロナ禍で、私と二人きりで過ごす時間が多かったこともあり、娘は外であまり他人に愛想を振るいませんでした。
しかし、療育では本当に転がりまわって爆笑してるんです。

こんなに楽しそうに人と関われるんだ・・・!
と、感動すら覚えました。
言葉の表出はその後から
言葉が出るようになったのは、通い始めてから半年以上経ってから。
でも、それ以前に、
そうした土台を、娘はしっかり育てていたのだと思います。
その土台のおかげで、無事に言葉を発してくれた娘は、今では大声で歌を歌ってべらべらしゃべる子になりました。
「安心」は、通う場所ではなく積み重ねでできていく
この経験を通して、私の中の「支援」のイメージは大きく変わりました。
療育は、とても大切な支援です。
でも、通っているだけで安心できるものではありません。
本当の安心は、
- 日常の中で
- 人との関わりの中で
- 失敗しても戻れる場所があって
少しずつ積み重なっていくものだと、今は思っています。
療育を「安心のゴール」にしないために
もし今、
そんな気持ちがあるとしたら、それは自然なことです。
療育はゴールではなく、土台づくりの一部。
そう捉えられたとき、少し肩の力が抜けるかもしれません。
まとめ
療育に通っているから大丈夫。
そう言い切れない理由は、療育が足りないからではありません。
子どもが安心して育つためには、
「どこに通っているか」よりも、「どんな関係の中で過ごしているか」が大きな意味を持ちます。
土台は、目に見えにくいけれど、確実に積み上がっていきます。
焦らず、その積み重ねを大切にしていけたらいいですね。

楽しく人と関われる。
それって、大人になってもずっと使える大切な能力です。


