子育てをしていると、
つい、子どもの成長に心が揺れます。
できたらうれしい。
できなかったら不安になる。
それは自然なことです。
でも私は、娘の成長に自分の一喜一憂を“依存させない”でいたいと思っています。
私が大切にしている距離感
娘は娘。
私は私。
でも娘は、私の子ども。
だから私は、支援をしたい。
これは義務ではなく、私が選んでいる姿勢です。
けれど、
娘が私の思うようにできたからうれしい。
できなかったから不機嫌になる。
つい、こうなってしまいそうになる瞬間がたくさんあります。
私はそうはなりたくないんです。
娘の成長が私の感情の起因になってしまうと、きっと娘は萎縮してしまうと思うからです。
きっかけは、自分の育ちでした
私は小さいころ、わりと厳しく育てられました。
「こうあるべき」
「こうしなさい」
そのレールから外れると、強く叱られる。
それが苦しかった。
だからこそ、娘にはのびのびしてほしいと思っていました。
当時は理屈ではなく、ただ感覚でそう思っていました。
後から気づいたこと
療育や支援について学ぶ中で、
「あれ?」と思ったんです。

私がやろうとしてたことって、今になって思うと、レディネスとかレジリエンスにつながってかもしれない
私は娘にのびのび成長してほしい。
だから、周りと比べず、娘らしさを尊重してきました。
そして、「私=安心できる存在」「家=安心できる場所」であるように常に心掛けてきました。
安心できる土台があるから、挑戦できる。
焦らせないから、またやってみようと思える。
完璧を急がないから、心が折れにくい。
理論を先に知ったわけではありません。
でも振り返ると、そういう支援を選ぼうとしていたのだと気づきました。
手を取り合うけれど、依存しない
私はこれからも、娘と一緒に歩いていきます。
支えるし、見守るし、応援もする。
でも、
娘の人生が私の人生そのもの、とは思わないようにしたい。
お互いが依存するのではなく、ときには支え合える関係でいたい。
娘は娘の人生を歩き、
私は私の人生を歩く。
その途中で、手を取り合えたらいい。
そう思っています。

娘の卒園が近いので、今後の娘との関係性についてよく考える時があります。
今回は、自分の気持ちを整頓して、いつでも見返せるように記事にさせていただきました。

